沿革
住職が在家(普通の家庭)より出家し、東京を中心に12年の修養ののち、信仰の大切さ、信仰とは日常生活の中にあり、自身の魂を養うことによってのみ、真の安らぎを求められると云う信念で、1人でも多くの人に伝え世の中のためになりたいと考えた時、自分の生まれ育った長崎では、世界の歴史上2番目の被爆地であり、日本の歴史上唯一の宗教戦争とも云える島原の乱があった場所での布教を決意し、1984年(昭和59年)に長崎県雲仙市小浜町に帰り、島原半島を中心に布教活動を行う。
そして、もう1つの命題、被爆地長崎市での布教は40km以上の距離があり思うにまかせなかった。そこで、お寺にいて待つのではなく、自らが人々の中に身を投じることが必要だと感じ、2000年(平成12年)4月28日に長崎市田中町に普賢山日星寺を建立する。長崎市の東部に位置する日星寺は、ご守護を強く仰ぐ普賢菩薩の山、矢上普賢山を仰ぎ観る場所に選定した。
また、同士の協力を得て埼玉県嵐山町(東武線沿線)光龍院を中心に関東一円の布教活動にも勤めている。それは、被爆地長崎、宗教戦争の歴史を持つ長崎より慈愛の和を全国に広げたいと云うねがいに他ならない。